ふきすさぶ嵐で
耳がもげそうな中で船長は いいました。
「正直、もう駄目だと思う。」
船員たちは 船長の言葉にショックでわぁわぁ泣きました。
「だが、ひとつだけ方法がある。」
船長はいいました。
「お前ら マストの周りを回転しろ。 たしかちびくろサンボという童話では、虎がバターになった。回ればなんかになるかもしれん。」
船員たちは 半信半疑で嵐の中、マストの周りを回転すると、
なんと 黒酢になりました。
船長は 黒酢を飲んで元気をだし、嵐を乗り切ったそうです。
よかったですね。
黒酢になった船員はどうしたか?
まあ、・・・黒酢になったままですわ。
ぶっちゃけ 死ですわ。
しゃあないわ。この際。
将軍はもぐさを 食べる馬に 一言いいたくなった
おいおい お前 なにをもぐもぐやっておるのだ
馬はいいます
将軍様 もぐもぐやるのは 習性なんです。
将軍様も 馬に怒るのは 習性なんですか。
将軍は・・・一言黙り。
ごめん。イラついてただけなんだ。と馬に謝りました。
余談ですが
これから 何度も この将軍は 馬に命を救われることになったそうです。
てめぇを食いなさい
食ってなくなりなさい
なくなって もろくなって
風にふかれて とびなさい
こだまになりなさい
こだまになって どこかにいったら そこは光り輝く麦畑。
そこでは 私のことはもう 忘れて 素敵に暮らしなさい
ねじを 路上でたくさん売っている男がいました。
「その ねじは 何につかうんだい。」
と 通行人はききました。
「使いたい人が 使えばよいのです。」
通行人は 怒って 通り過ぎました。
鍵を路上で売っている女がいました。
「その鍵は どこの鍵だい?」
と通行人はききました、
「どこかの鍵よ。」
通行人は 怒って 通り過ぎました。
この話の 主人公は 別に ねじを売る男でも
鍵を売る女でもなく
実はその通行人でして。
その 通行人は 数十年たち
結婚し、子供が成長し、分別を身につけ、
何事もなく年を取るのですが
ふと・・・
「あのとき もし ねじを買っていたら?」
「あのとき 鍵をかっていたら?」と思うようになったそうです。
賢い妻は それを聞き、こう教えてあげました。
「あなたが 買うことをそのとき選ばなかったのだから
その鍵も あなたを選ばなかったし
そのねじは あなたに必要なかったのよ。」
そうだろうか。
通行人は思います。
どうするのが よかったのだろう。
何が正しくて、何が間違ってたのだろう。
間違ってたとしたら
妻が?
それとも 買わなかった自分が?
それとも ねじ屋? 鍵を売る女?
妻は いいます。
「あなたが 選んだのは私よ。かぎでも。ねじでもなく。」
通行人は その答えを聞いて安心して眠ります。
自分は正解を選んだのだと。
それでも たまに 思い出すのです。
鍵を売る女と
ねじを売る男のことを。
特別なサイダーが
ギンダラ峠の 夜祭には 出るといわれてます。
その素敵なサイダー飲めば、みんな 蜂になるのだそうです。
踊る人みな 飲み
売る人も飲み
祭りが終わると
そこには誰も人はいない。
あとには いくつもの羽音だけ。
だからギンダラ峠は
蜂がたくさんいますよ。